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仙台高等裁判所 昭和45年(う)335号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

被告人磯崎の控訴の趣意は、弁護人人見孔哉名義の、被告人佐藤の控訴の趣意は、弁護人菊地一民名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

人見弁護人の控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反)について。

被告人磯崎に対する本件起訴状記載の訴因たる過失の内容は、「被告人は、……交差点手前一一三メートルの道路上にさしかかつた際、右交差点の対面する信号機の信号が既に青色を表示しているのを認め同交差点を直進しようとしたが、同所付近は最高速度を時速四〇キロメートルに制限されている場所であるから、このような場合自動車運転者は右制限速度に従うは勿論、信号を注視し、信号が何時黄色に変つても直ちに交差点の直前で停止できるよう速度を調節しながら進行して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り云々」というのであるのに対し、原判決は、「同所付近は法令により車両の最高速度を毎時四〇キロメートルに制限されていたから、このような場合自動車運転者は、右制限速度を遵守するはもちろん対面信号機の表示する信号に従つて進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上当然の注意義務があるのに、右各義務に背き、対面信号機が黄色灯火を表示しているのを看過し、かつ、時速約五五キロメートルの高速度で交差点を通過しようとした過失」があるものと認定していることは、その判文上明らかである。所論は、要するに、本件の訴因は、制限速度違反と交差点に達する以前の段階における信号注視義務違反の点に過失があるとしているのに対し、原判決は、制限速度違反と交差点通過時の信号無視の点を過失として促えているのであつて、速度制限違反の点のほかは訴因と異なる態様の過失を認定しているのである、このような場合には訴因変更の手続を要するのに、原審はこれを怠つたから、訴訟手続の法令違反があると主張するのである。よつて審按するに、記録を調査すると、原審は、なるほど所論のような訴因変更の手続をなした形跡は認められない。しかし、原判示中の過失についての認定部分と右訴因とを対比検討すれば、原判決は訴因と同様に、信号機の信号を注視しこれに従つて進行すべき注意義務の存在を前提として、本件交差点進入時における信号看過を過失の内容としていることが明らかで、訴因と異なる態様の過失を認定したものとは認められないし、もとより被告人の防禦に実質的な不利益を与える虞のないことが認められるから、原審が訴因変更の手続を履践しなかつたからといつて、なんら訴訟手続の法令違反のかどは存しない。論旨は理由がない。

同弁護人の控訴趣意第二点(事実誤認)について。

所論は、要するに、被告人磯崎は、青信号に従つて本件交差点を進行したものであるから過失がなく、本件事故は専ら相被告人佐藤の過失に起因するものであるから、被告人磯崎の過失を認定した原判決は事実を誤認したものであると主張する。しかし、原判決挙示の証拠を総合すれば、被告人磯崎に関する原判示第二の事実は、被告人の過失の点をも含め、すべて優にこれを認定することができるのである。なるほど、被告人磯崎の原審公判廷における供述記載によれば、同被告人は、青信号に従つて本件交差点を進行しはじめた旨論旨にそう趣旨の部分があるが、同被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書によれば、同被告人は、本件交差点の手前約一〇〇メートルの右カーブに差しかかつた時、信号が青だつたのでそのまま進んでいいものと思い、いつ信号が黄色に変るかも知れぬなど深く考えずに交差点に進入したのであつて、相被告人のタクシーを発見した時の自己の進行方向の信号機の信号はわからなかつたというのであり、また、吉原正勝の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人磯崎の運転自動車の助手席に同乗していた同人も被告人磯崎と同様、交差点の約一〇〇メートル手前の地点で信号機を見た時は青だつたが、衝突時信号が何であつたかはわからないというものであつて、これら各供述調書の各記載に徴すれば、被告人磯崎の前記公判廷における供述記載は信用し難く、さらに証人吉原正勝の原審公判廷における供述記載中には、交差点の一〇〇メートル手前で信号機の信号が青に変つたのを見ている旨の部分があるけれども、これもまた、同様信用し難い。かえつて、相被告人佐藤の原審公判廷における供述記載、同被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書によれば、自己の過失を争わない同被告人の目撃したところによれば、被告人磯崎が交差点に入る直前において、同被告人の進行している道路の信号機の信号は黄色であつたこと、また工藤秀昭の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の各実況見分調書を総合すれば同人が店の椅子に腰掛けていた時、パーンパーンと高い連続音を聞き、すぐ外に出て交差点を見た際、菅野果物店脇にある被告人磯崎の対面信号機の信号が黄色であり、しかもすぐには赤にならなかつたことが認められるのである。以上のとおりであつて、前掲各証拠を総合すれば、相被告人佐藤の信号無視の過失はさることながら、被告人磯崎の信号看過の過失は到底免れざるところといわなければならない。さらに記録を精査し、当審における事実取調の結果に徴しても、原判決には所論のような事実誤認があるものとは認められない。論旨は理由がない。

同弁護人の控訴趣意第三点(量刑不当)について、

記録を調査すると、本件事故は、相被告人佐藤と被告人磯崎の過失が競合して惹起されたものであるところ、両者の過失の程度を比較すれば、相被告人佐藤のそれの方がはるかに大であるとはいえ、被告人磯崎の過失も、信号機の設置してある交差点に進入する際の自動車運転者としての基本的注意義務を欠いていたものであつて、その過失の態様および生じた結果の大であることにかんがみれば、その罪責は重いものといわなければならない。その後、死亡者の遺族に対し、同被告人の勤務会社および相被告人佐藤の勤務会社において、慰藉料等を支払い示談が成立していること、同被告人の前科もさしたるものでないこと、その他勤務状況等同被告人に有利と認められる諸事情を参酌しても、原判決が同被告人に対し、禁錮八月の実刑を科したのは、けだしやむを得ないところであり、量刑が重きに過ぎ不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

菊地弁護人の控訴趣意(量刑不当)について。

記録を調査すると、被告人佐藤は、これまで道路交通法違反で八回、業務上過失傷害罪で二回、罰金刑に処せられた前科歴を有し、本件にあつては、乗客を安全に輸送すべきタクシーの運転者として、原判示のとおり、乗客四名を自動車に乗せて本件交差点にさしかかつた際、自己の進行方向の信号機が赤信号であるのを認識しておりながら、乗客から急がされたという如き特段の事情もないのに、右信号に従うべき自動車運転者としての基本的注意義務を欠いたものであつて、いかに左右道路の信号機が黄信号であるとはいえ、交差点に進入した過失の態様は悪質であり、また、相被告人磯崎の前示過失と競合したものであるとはいえ、生じた結果が大であることにかんがみれば、その罪責は甚だ重いものといわなければならない。以上を考慮すれば、その後、死亡者の遺族に対し、同被告人の勤務会社および相被告人磯崎の勤務会社において、慰藉料等を支払い示談が成立したほか、いまだ示談は成立しないものの、右両会社において、その余の被害者らの治療費を支払っており、被害者感情が緩和されていること、運転免許が取消され、転職のやむなきに至ったこと、その他家庭の情況等、記録および当審における事実取調の結果に現われた諸事情を参酌しても、原判決が同被告人に対し、禁錮一年六月の実刑を科したのは、けだしやむを得ないところであり、量刑が重きに過ぎ不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

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